やっぱすごい

本日は私の中ではひゃくしき祭り。そんなサイトもいっぱいある事でしょう。懐かしいな、こんな感じ。以前中村君の「太陽」が出たときこんな気持ちだった気がする。あの頃は色々もがいていた。
別に「買う」とも「楽しみだ」とも一言も書いてなかったし。別にこんなにすぐ買うつもりもなかった。そんなに楽しみするほどでもなかったんだけど。だってWEBのアルバム試聴もしなかったし。それでもやっぱ手にすると、いざ聴くととてもいいなぁ。うん。いいよ。
前に「Honeycome,were」を聴いててなんとなくアルバムは「こういう感じかな」って予想はあったんだけどもそれ以上に良かったんで驚いた。


あれですよ。
大体「音楽で救われた」とかさ。そんなの傲慢じゃんと最近思っててその表現は控えていたんだけどさ。助けられたかもしれません。うむ。ちょっとレベルダウンした表現に戻した(笑)。この音はちょっと助けてくれそうな気がする。

昨日考え込んで凹んでいたけど。
なんか、良かった。このアルバムの音とスピード。



大体精神的にきつかったりしんどい状況に陥ったり辛い感じになると矢鱈と文をたくさん書きたくなる癖があるんだけどさ。その理由が分かってね。
多分逃げ場がそこしかないからなんだろう。
コミュニケーションレベルが極端に低い人間な故に物凄く他人に感情出したり伝えるのが下手で。なんかもう伝えようとする事自体を諦めてる人間だから。終わってる。まぁその理由も分かりすぎるほどに分かっててさ。
誰しもが思春期の終わりに自己分析して大人になっていくじゃないですか。私はその過程がどろどろな感じの泥沼状態で来てしまったんで余計にそういう状況に陥った。感情殺すのよくないよね。ホント人間らしくないと思う。
あ、話がそれた。
そう、で。一時期文章でしかホントの事書けなくなっててさ。感情を文章にしか託せないときがあって焦ってた。その頃の名残があるっぽい。どうにもこうにも私の逃げ場は文章になるみたい。ま、今でもかなり密接なんだけどさ。前は医者と筆談したりしてたもん。家族と医者の面談の日とか、嫌過ぎて取り敢えず思ったことを作文にして逃げたくらいに。そのくらいに酷かった。
けどもなんか文にするのが好きだし落ちつく。

だからこそ。

だからさ、文章ですら感情の逃げがあるとすっごい凹む。最近それ多い。凄い自分を誤魔化して書いてるなーと思うときがあって。それに気が付いてなんか駄目だと思ってた。そこは逃げちゃ駄目な部分だと思うから。余計に。

生き物はさ、複雑だから生産行為をしつつ消費行為を行うでしょ。今文書いている状況は「言葉の消費>>>>>>>>>>生産」って図式になっていてそこが「=」ではないんですね。それがしんどい。すっごいしんどい。
書いているってことが感情と直結しているだけになんかなぁって感じで凹む。そういうことでちまちま悩む。


けど。うん。ちょっとだけ助けてくれたものがあるから今はそこまで凹んでもいない。
「光は光」、いい曲だなぁ。スウィート。
あったかいベッドとか。あったかい紅茶とか。そういうのも、スウィート。

大げさな事書いた割に結論は無いです。人生に結論がないのと同じ事です。
偉そうだな(笑)
いや、結論が出せなかっただけかぁ。若輩者ですから。