appleは天才

ZWAN/Mary Star of the Sea
そういや今度出ますね。Apple iPod shuffle 1GB M9725J/Aが。欲しいに決まってるじゃないですか。シャッフル最高。次に何がかかるか分からないところも最高。わくわく。USB差し込むだけでいいし。うーん時代はサブのipodを持つ感じですか。チューイングガムサイズ。しかも1Gで1万6千円。最高。まじで欲しい。最長12時間の連続再生ですよ。激やば。

本が読みたい。なんか無性に活字を追いたい。
疲れたー。今日は働きすぎた。参った。

100S聴いたりnilのライブ盤聴いたり。そんな感じで。「わーらーうものーなみだをなーがーすーもーのー」。100Sになってからの中村一義は「いきるもの」みたいな歌詞の事を歌うことが多い気がする。即ち。「生きるのは自分」。うん。そういうこと!決めるのも自分。そして幸せになるのも不幸になるのも全部自分だ。そして私はそういうスタンスが大好きだ。
nilは電車の中じゃ聞けない。ヘッドフォンしてるから。思わず笑う。だって。The end is near!とかPENGUIN JIVEとかすっげー面白い。演奏とか勢いとか。かっこいいのに面白い。正にライブ盤。笑っちゃうんで外じゃ聞けないっすよ。けど今一番面白いのは「hate beat!」。半笑いになる。クセになりながら聞き続けてる。
そしてヘッドフォンだとますます音がこもる。すごい。

先月ツアーで広島岡山ワンマンに行った後自分がmixiの方の日記に書いていたこと。12/26になってた。

やっぱnil、と言うか哲君は90年代のロックが身についてるんじゃないだろうか。そういう音が多かったと思う。95年前後のレディへとか(笑)。そう、年代にすれば95年前後のUK、USという感じ。ある意味一番幸せだった90年代の音楽シーンだ。
それはカバリングを聞いていても思ったことだけどさ。多分この辺りかなぁって思いました。だからさ、90年代ロキノン読んでパールジャムとか聞いていた私は結構すんなり受け入れてしまう音なんだろうなと思う。でもさ、nilで面白いのは多分樫と茂呂ちゃんのルーツはそこではないんだよね(笑)。茂呂ちゃんは今回のカバー曲全然知らないって言ってるし。樫は樫であんま分かんないんだけど、前に哲君が会報で言ってた通り、nilで一番色々聞いてるのは実は樫な気がする。あんま囚われない音とかフレーズ多いもんね。
そういうバランスが面白いなと思った。そんな事を思ってワンマン見ていた。それにしてもあの3人が音を合わせる瞬間なんであんなにかっこいいんだろうなと思う。それを見るだけで、あの空白を聞けるだけでライブに行った価値があるなと思ってしまったくらいに。
なんかこの前のリキッド見ててふと思い出した。あとさるこちゃんの日記読んでてやっぱこんな感じかなと思った。だから引用してみた。
そういや広島で初めて新曲聴いて、最初ベルベッツーって思って。別に似てないんだけど。その後岡山で聞いて上のようなことを思ったんだわ。

んで、だからZWANが聴きたくて今日の1枚に持ってきてしまいました。ZWANはもっと騒がれていいのに。めちゃめちゃいいじゃん。正直後期のスマパンよか全然好きだ。サイアミ〜メランコリーと来て、アドアで不安になりマシーナで「裏切られたー」と思う人はメランコリーの後ZWANに飛べばいいと思う。いや、これまじで。あぁいう感じだから。ただスマパン時代の重さとか暗さが無くて明るいんだよね。眩しいくらい。ジャケも白いし。「あぁ絶対この人無理してんだろうな」と思ったらホントに続かなかったという。正直なやつだな、ビリー。
クリア/歪んだギター。
搾り取るかのような声。
90年代のグランジやUKのロックを含めた「あの」感じをオルタナと呼ぶならばさ。ZWANは私的にはかなり高位置にいるよ。これ出たの去年か一昨年だし。「…色々なものが終わっていったんだけどもやっぱり私はこいう音が好きなんだ」と思わずにはいられないから。正直ね、胸に来る。
回顧じゃない。
スミスのライナーで山崎洋一郎が「今は(スミスを)聞かなくなったけれど、まだCD棚の奥に置いてある」って感じのことを書いてたけど。それに近い。そんなに聴くこともなくなったけれど。それはリアルなものとして心のどこかには残り続けてるんだよ。そういうことなのだ。


今日はライブだ。
Faintの来日公演を見に行ってきます。
張り切って踊ってきます。楽しみだ。