銀杏BOYZ/君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命

10年前はちょうど中3だった。15歳だ。1995年。カートが死んだ次の年だ。知らずに勉強してた。受験だった。高校生になる年だった。さっぱり先は見えなかったけど勉強はしてた。頭は良かった。好きな子がいて胸が騒いでいた。サッカー部だった。付き合った。友達も多かった。だがその頃既にラルクが好きだった。これは唯一ひた隠しにしておきたいところだが別にいいや。好きでした!
その日は火曜日だった。とても尊敬していた塾の先生が「神戸の受験生は大変だな」と呟いたのをハッキリと覚えている。
当時からずっと夜型で深夜にひたすら勉強する癖がついていたんだけど、1時になるとオールナイトニッポンを聞く「王道」な夜型ライフだった。火曜日の担当は石川よしひろで、深夜の2時の、いきなりボコーダー通したロボ声でアポなし電話をかけて高い確率で逆切れされて終わる「ハーモナイザー」のコーナーが大好きだった。数年前の電気のオールナイトも好きだったけど石川よしひろも面白かったな。この後火曜日は石川よしひろからイエローモンキーの吉井さんにバトンタッチして、私もこの時間帯はナック5に移行する。月曜日はコレクターズでミッシェルで火曜日はラルクで水曜日はリディアンモードで木曜日が清春で金曜日が市川哲史だった、確か。
10年前の今日、ラジオを担当していた石川よしひろは途中で号泣して放送どころじゃなくなった。次の週には「しっかりしろ」と視聴者から葉書をもらっていたが、彼は放送途中、あまりに深刻になる被害と死傷者の数に呆然として放送どころじゃなくなっていた。何故か鮮明に覚えている。
私はその時併願で受ける私立の高校の数学の問題を解いていたんだけど、気になって過去問どころじゃなくなったという想い出がある。それは強烈な記憶として残ってる。深夜。ぼうっとしていた。「大丈夫かね」って誰かに言ったけども別に誰か特定の人を指して言った訳でもなく、そこまで実感もわかなかったのだと思う。
私でもそんな風に覚えているんだから、当時の人はもっとだろう。10年経ったってそれは終わったことではないし済んだ事でもないし、ましてや簡単に「頑張って」と済ませられることでもないし。ただちゃんと真実を見つめるのが一番なんだろうと、今日新聞を読んでいて思いました。

と、まぁ銀杏BOYZを聞きながら書いてるけども。最初からこういう感じのことを書こうと思ったわけではなく。違うんだー。ただふと銀杏聞いてたら中学時代のことを思い出して、その勢いで10年前のことが浮かんだだけだ。
未だにリアルだ。