最近邦楽で好きなのはずっとLOST IN TIMEモーサムNATSUMENだった。3月4月とずっとこればっかり聴いていた気がする。結局私は何だかんだで気に入ったものをずっと聴き続けてしまうクセがあるから。この3つは本当に気に入ってるのだ。


そして先日nilを買ったわけなんですけども。


良かったよ。ホントに。ここ数日聴きまくってる。一曲目からビックリしたんだもん。「この始まり方なら、次にこんな音のギターで入ってきて欲しいなー」って思った通りの音が入ってきたから驚いた。全体的に物凄く好きな音だから驚いた。何て言うか、私がnilには求めたことのない音だったからだ。
間口が広いとか、毒が抜けた気がするとか言ってしまったけれど、集約すればそこなんだろうな。このアルバムはnilっぽくない音だったと。普段自分が聴いている、自分が好きな音に近いアルバムだった。最初の方は特にそう思った。nil特有の胡散臭さやニセモノっぽさがなかった。
私が1stを聴いたときに「ん」と思ってしまった耳障りの悪さが消えていた。物凄く耳障りが良かった。だからあっという間に聴けてしまう。気がついたら1周が終わっている。聴いてるこっちを振り回してしまうくらいのnil節が少ないなと正直思った。「ホンモノっぽい」というのは得てすれば凡庸もしくは可もなく不可もなく、という状況に陥りやすいのだ。それならば特出した胡散臭さ、非凡なニセモノの方が全然いいじゃないかと思った。
ライブでorionやWe Cryを、シングルでDROPを聴いたときに「裸だよなー」と思った。あんまり飾らないでそのまんまな音になったなーと。ニセモノの部分、フレーズや言葉の遊びで誤魔化さなくなったということは、その分よほど確固たる意思や自信があるんだろうな、と。シンプルになる、ストレートになるというのはその本質で物事が評価されてしまうことだ。自分のやっていることに自信がなければ出来ないことじゃないか。けれどそれを吹き飛ばすくらいに、それも納得できるほどにライブで聴いた曲が素晴らしかったから。だからその路線で勝負するんだろうなと思っていた。
届けられた2ndアルバムは本当にそんな路線だった。以前のnilの音、と言うよりも哲君の色が物凄く強かった。強すぎるよってくらいに強い気がした。一瞬戸惑った。やっぱり2月のあのことがあったから、どうしてもそれを意識してしまう。けれど、「じゃ、前の路線でよかったの?」って言われればそれは違うと思うし、あの3人が秋にこういう音を作ったっていうのは事実なわけで。あの3人が選び取った音はこれだったんだろう、とただ納得するだけだ。
あの3人が選び取った音がこの音だった。
最初に哲君がやりたいことをやるバンドとして始まって、色々あって、ツアーとかやって段々3人特有の色が出てきて、そんでもって12〜を出してnilとして固まったなーと思って、そんでもって更に色々あってツアーとかあって3人各々の存在感が物凄く強くなった。そして哲君が誤魔化さないであんなに裸になれるような状況までになったnil。そんな状況で作られたエクスカリバーは、哲君の色が物凄く強くて、ストレートな音だった。哲君の色が物凄く強かった。けれどそれは初期の「哲君色の強さ」とは違うものだ。新たなステップへ哲君を送りだしてあげてるかのような音だ。DROPの時に思った「役割を越えたコントロール」。nilがどうしたいのか、どんな音を出したいのか。どうやったら「哲君」を引き出してあげられるのか。そういうのを分かった人たちが作ったのがこのアルバムなのだ。
そのアルバムが哲君を新しい方向に送り出すみたいな潔い完成された音なんだ。それはもう泣けるじゃないですか。だって素晴らしいもん。最高だもん。
たとえ妄想にしてもさ、こういうのはどうしても胸に来てしまう。平常で聴けなくなる。辛くなる。聴いていてもしんどくなる。だからレビューなんて書けねーと思った。感想なんて書けないよ、と。音だけとかなら書けるかもしれないけどさ。だってあんなに思い入れのあるバンドなんだもん。絶対に思い込みとか妄想含まれるしさ。いいものにはならないっていうのが分かってるだけに書きたくなかった。だから今ももう、当分は書かないでおこうと思っている。


哲君が新たな場所にnilを着地させるまでは心の整理がつかないので。まだ聴くのはしんどいかもしれないなと思います。聴いてるんだけど、雑念にとらわれている感じがする。
けど、茂呂ちゃんもバンド始めたらしいし。
時が止まっていることなんてないんだと思うから。もうすぐ、かな。


んでもって今日音人をやっと読んだ。
…いつかは連絡してやってよ…(涙)