クジラの子らは砂上に歌う1~2話の感想
元々アニメは多くは見ない派だった。
次シーズンのアニメ一覧を見かけるたび、数の多さにうんざりしてしまう&その上に興味を惹かれるものが良くて数個、という惨状だったので、ここ最近のアニメはよっぽど気になるものを除いてほぼスルー。でも大人なんだしそれで良いと思っている。
Netflix2018年度にオリジナルアニメ30作、映画80作を予定 予算は約9000億円 - ねとらぼ
数日前にtwitterでこんな記事を見かけたけれど、現在わたしから最も時間を奪っているであろうNetflixさんはアニメに力を入れ始めている。京アニの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』も確かNetflixで世界配信だもんね。
Netflixで扱う新作アニメの数も割と増えていて、そんな中に『クジラの子らは砂上に歌う』があった。原作が高い評価を受けていたのは知っていたが、作品についての前知識は一切なし。1話のあらすじ読んでも、「砂の海を漂泊する船"泥クジラ"で暮らす人々と、~」って、最初から意味不明すぎた。なんだよ泥クジラって。でもまだ2話だったしタイトルが詩的で惹かれたから見た。そしたらもう、面白すぎて興奮した。
まず「閉ざされた世界」に生きていた少年少女が、その外の世界に目を向け、「閉ざされた世界」では知り得なかった真実(きっとすごく残酷なものなのだと思う)と向き合っているのが良いと思う。
同種のことは『進撃の巨人』でも感じたな。わたしは島国で生まれて島国で育った典型的な日本人だし、ティーンの頃はずっと似たようなことを感じていていたので……。
主人公のチャクロは記録係で、彼らの世界に何が起きたかを延々と記録している。彼らの住んでいる"泥クジラ"は文字通りにクジラの形をしている泥の船みたいなもので、"泥クジラ"は砂の海を泳いでいるんだけど、チャクロは視聴者であるわたしたちと同様に"泥クジラ"がなんなのかとか、どうして動いてるのとか、自分たちがどうして"泥クジラ"に住んでいるのとか、砂の海って果てがあるのとか、他に人間がいるのかとか、全然分かっていない。
"泥クジラ"には短命の能力者である『印』たち(こっちが大多数で、チャクロもこっち)と、能力はないんだけど長く生きて政治を司る『無印』な人々がいる。『無印』な長老たちはどうやら世界のあり方を知っているっぽいんだけど、チャクロたちには知らされない。知らされないがゆえに、視聴者はいきなり謎のファンタジー世界に放り出されて、神の視点から情報をぎゅうぎゅうに詰め込まれることもない。
"泥クジラ"は基本的にはいい場所として描かれていると思う。チャクロやサミ(チャクロを意識しつつされつつな関係の女の子。かわいい!)は自分が"泥クジラ"に生まれ育ったことについて怒りや絶望を感じているわけではない。でも閉ざされた世界に住んでいるからこそ、「世界について知りたい」という飢餓が強く、オウニという長髪イケメンなんかは"泥クジラ"の生活に嫌気がさしているから外の世界に出たくて仕方がない。
偶然に漂着した廃墟船でチャクロが自分たち以外の人間・リコス(なんか綾波レイみたいな子!! かわいい!!)と出会うことから物語は動き出す。リコスから外の世界や"泥クジラ"にまつわる真実を知らされるチャクロやオウニ。
1~2話の流れはこんな感じなんだけど、ここまででも掴みは充分だったな。
ラピュタやナウシカ・その他優れたファンタジー漫画やアニメを思い起こさせる世界観が素晴らしかったし、一方で主人公の少年少女たちをあえてギャグっぽく描いた日常パートも良かったと思う。チャクロとサミのものすごく分かりやすい胸きゅんシーンがあったりするのも、"泥クジラ"という特殊な世界と視聴者を隔てすぎないようにしているのかな、と。
だから、このアニメを見るわたしたちは、思う存分チャクロと自分を重ねてみれば良いのだと思う。
だから、外の世界に目を向けよう。
世界の在り方を知ろうとしよう。
ネットやSNSが普及して世界の情報が一瞬で手に入る時代だからこそ、それはとても大切なことなのだと強く思う。