泣き腫らした瞳の先に

数ヵ月後か、いや、数年後かにこれを読み返すであろう自分への日記。忘れてはいけない気がしたから。



私は911の時に入院していた。
開放病棟であったけれども精神科故に自由に出入りが出来たわけでもなく、毎日途方も無い時間を持て余していた。とは言え割と鬱状態であったので、気力もなく生きているのか死んでいるのかもよく分からないままに、ひたすらフラットに規則正しい生活を繰り返す中、朝起きたら世界が変わっていた。それが911であった。
それは正直言って全く現実味のない光景であった。
だってビルが真っ二つなんだぞ。ビルに多くの乗客が乗っている飛行機が突っ込むんだ。それを突然見せられても重く鈍い頭では到底リアルだとは思えなかった。心臓は跳ねた。鼓動はドキドキしたけれど、思考がついてこなかった。ただ、ロビーのテレビを食い入るように見詰めて居る患者さんたちの姿を覚えている。皆ソファの上で膝を抱えていたなとか、あの人のパジャマの柄だとか、あの時に上手く薬を飲むことが出来なかったなとか、やっぱり手が震えるなぁとか、そんな事ばかりを覚えている。
思えばあの時の自分はまだ子供だった。大学生だもの。世間知らずで少しナイーブな、まぁよくネットにいるような子供だった。
世界は変わる。90年代末の閉塞感は乾いた終わりの見えない失望に変わり、このままゆるゆると死んでいくのだろうなと思っていた。日本という国について、世界の情勢について、真摯に向き合うことが出来なくなった。ちょうどその頃鬱を脱却してフリーターを経て会社員になり、忙しさや世知辛さに翻弄されて、「大人になったんだよ」なんてシニカルな諦めを口にしたかった時期なのかもしれない。
両手いっぱいに抱えていた花束はいつの間にか萎れてしまったんだ。
そんな言いようのない悲しさを抱えていたけれど、どうしょうもないのだと思っていた。


そうして311が訪れる。14時46分。あの瞬間、もう一度、私の世界が変わる。
今度は本当に怖かった。自分が地震を体感したというのもあるけれど、私には自分と同じくらい、いやそれ以上に大切なものがあったからだ。私は大人になってしまった。母親になってしまった。居場所があるということ。それは安心を生むけれど、どうしても「守らなくては」という意識も生まれる。それを失ったらどうしようという恐怖。
大人になると腰が重くなってしまう。
昔はそれが嫌で大人になんてなりたくないと願ったものだけれど、私はそんな普通の生き方を選んでしまった。それを後悔するつもりはないけれど、あの頃の自分の気持ちは今でもよく分かるし否定も出来ない。苦しさを覚えるくらいなら一人でいいんだと、あの頃はずっと願っていた。連帯なんて、繋いだ手は最後には振り払われるんだとそう思っていた。
この1週間、色々な光景を見て、多くのネットの書き込みを読み、様々な事を感じ、そうして少し考えた。
地震発生直後は皆地震の恐怖を語り、それでもまだ余裕はあったのだと思う。何も知らなかったから。時間が経つに連れて少しずつ色々なことが明らかになって、そうして皆(もちろん此処で言う皆とは私も含む)じわじわと本当に恐ろしい光景に追い詰められてくる。言葉を失うしか無い光景や想像を絶する『数』。そうしてオンラインの世界も、オフラインの世界もパニックに陥る。

目の前の光景に皆が泣いたのだと思う。
圧倒的な自然の恐怖に立ち尽くしたのだと思う。

誰かのために、だとか、自分の無力さなんていうものはそのもっと後に付いてくるものだった。私たちは皆、まずは災害を前に怯えることしか出来なかったのではないだろうか。多くの命や、「守るべき場所」が一瞬で失われていく光景にただ打ちのめされるだけだった。気仙沼の火事の光景を前に何が言えただろう。津波に飲み込まれていく家や車を前に何を言えた? 私はただテレビの画面を見詰めることしか出来なかった。アナウンサーの震える声を聞いた。誰もが祈るしかなかった。少しでも多くの命がと。
恐怖に怯える夜が過ぎて、事態はどんどん悪化していった。
私たちは原発というもう一つの危機に直面する。きっと地震だけだったらまだ、ここまで皆がパニックにはならなかったのだと思う。次々と露呈する問題を前に多くの人は後悔したに違いない。今まで自分たちがいかにエネルギーに、政治に無関心だったのか。少なくとも私はそう思った。けれど、全ては遅すぎた。
オンラインでは流言飛語やデマが凄いスピードで飛び交い、「あぁもう日本は駄目なんだな」というムードが飛び交っていた。それに加えて宮城や福島の被災地の惨状が徐々に明らかになって、TVでは悲痛なニュースが繰り返される。地震発生1〜2日後の日本のムードは本当に今まで経験したこと無いくらいに重く悲痛なものだった。私はあの重さを絶対に忘れないだろうなと思う。テレビやパソコンの画面を見るだけで胃の奥が痛くなって胸が苦しくなる感じ。「テレビを見ないようにしよう」と誰かが言う。けれど、じゃなきゃ緊急地震速報の情報も得られないし、原発の状況だって分からない。だから苦しいままにテレビやパソコンを見詰める。あの自らを暗い方向に追い込む感じはきっと忘れることがないだろうなと思う。「だって、知らないと」。そんなふうに自分を追い込んでいた。

ところで、目は閉じることが出来る。
大体人々が過剰なストレスに耐え切れなくなるのが3〜5日くらいなのだろうか。その辺りから目を閉じる人が増えた気がする。少しは落ち着いてきたというか。余震が繰り返されて、緊急地震速報の音にすら慣れてしまい、長野や静岡でも同じくらいの地震があり、東電はぐだぐだで(東電については現場の人は全く責めるつもりはないですよ)、計画停電が実施されるようになって首都圏は半ば混乱状態で、スーパーに行けば食料すっからかんで、そんな状況だけど、いや、そんな状況だからなのだろうか、皆が耐え切れなくなって目を閉じ始めた。うん、だって生き残った、そして被災してない私たちはたとえ怖くたって生活していかなければならないんだから。

不安を煽るな、デマを流すな、正確な情報を、判断は自分で。
怖いならテレビから離れよう、買い占めはやめよう、被災地に何が出来るんだろう。

そんな風に目の前の情報が整理整頓されていく。
何故だかは分からないけれど、そんな情報の行き交うさまを見ているうちに、あぁこれから新しい世界が形成されているのかもしれないなと思った。勿論、相変わらず原発について怖いことを言う人もいれば、ただひたすら津田っている人もいるし、世界のニュースにまで目を向けて状況を論じる人もいるし、怯えるだけの人もいるし、こんな時だから笑おうという人もいるし、おかしなことを言えばすぐに不謹慎だと怒る人もいるし、相変わらずカオスだ。オンラインとオフラインの壁も大きい。きっと買い占めをするような人はオフライン主体に生きている人なのだと思うし、そんな人達にとってはまだまだテレビが大きな存在だ。けれど、テレビだって少しずつ変わり始めたし、遅いけれど買い占めやめろやと言ってくれるようにもなった。
オンラインのスピードと、カオスの中でもがいているというか、何か形を作ろうとしているエネルギーのようなものを感じた。その根本には私たちがいる。「個」の私たちが居る。私は昔スヌーザーっ子だった。その中でダイジローさんがよく「個と連帯」について書いていて、その影響を強く受けた。そんな私が言うとすれば、「個」のままで連帯できる世界が作られているんじゃないのかなと思ったのだ。
一人一人、ちゃんと考えてこれからの世界を作っていこうよ。
今ならそれが出来る気がした。

私は菅さんの発言や石原都知事の発言にどん引きした。正直ないわーと思った。

このような表現を使うと不謹慎と怒る人もいるかもしれない。しかし、ぼくたちはこの未曾有の災害を「好機」として捉えなければならない。バブル以降の20年間の停滞に終止符を打ち、麻痺から脱し、日本をまともな国に戻すための最後の好機として。この好機を生かせなければ日本は本当に終わる。
http://twitter.com/#!/hazuma/status/48442188891295744

これは東さん(今は西にいるので西さんと呼ばれているらしいがw)の発言で、別に私は「好機」だなんて言いたくないし、最後の「好機」だなんて思っていないけれど、けれど、この20年の閉塞した停滞というものが終わればいいなと思ったので引用させてもらう。
そのためにはきちんとした個であろう。強い個であろう。少なくとも私はそう思う。今まで自分が抱えてきたアパシーや透明であろうとする逃げのようなものはひとまず封印しようと思う。何故なら、私は自分の子供達に少しでもよい世界を残してあげたいと思うから。この春に卒業する学生の子たちが少しでも希望を感じられる世界になればいいなと願うから。

立教新座高校の卒業生に向けた校長メッセージが本当に素晴らしい。
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

今、多くのものを、そして過去に築いてきた価値観を失って途方に暮れた私たちは、泣き腫らした瞳の先にどんな光景を見るのだろう。そこには絶望しか見えないのかな。ほんとに?
たくさんの反省と失敗を両腕に抱えているんじゃないのかな。何も知らなかった自分や、知ろうとしなかった過去の自分が背後に立っているんじゃないのかな。多くの間違いや、曖昧な責任や、歪んだ体質や、その土台で命がけで働く人達を見たんじゃないのかな。フーの歌詞を思い出してしまった。「もう二度と騙されない!」そう言いながらも僕らは何度も騙されてしまうみたいな事を言っていたのはタナソーさんだっけ、それともクボケンさんだっけ。
それでも生きようとする本能や、それ故の醜さや、モノを買い占めるのに必至な人々や、けれど生きていて良かったと泣いている写真や、ペットや我が子と再会して涙する人たちを、同じ瞳で見たんじゃないのかな。同じ心で見て、色々と感じたんじゃないのかな。
同時に、世界中から差し伸べられた手や、家族やネットで見知らぬ誰かが言った言葉や、アイドルの笑顔や好きなミュージシャンの歌で励まされたりしたんじゃないのかな。自分の無力さを抱えながら、それでも誰かに優しくしたいと、私はそう思った。

もう一度自分に聞いてみよう。目の前にはどんな世界が広がっているんだろう。それはこれから自分たちが創って行く世界だ。未来というものは自分たちが作って行くもの。そんなの当たり前のことなのに、私は今になって実感する。駄目だなぁ。

もう一度聞く。そこには絶望しか見えないのかな。
ほんとうに?